荏田城址

横浜市青葉区荏田町。大山街道と鎌倉中の道の交点に存在する。
内部に入れないことで有名。

荏田城址

北東に赤田川(写真の下を流れる)、南に布川が流れる(早渕川の支流)。東名高速が城内の丘を貫いている。

築城について。

按に荏田源三は源義經につかへし人にて、【源平盛衰記】等の書にも、その名みえたり、しからば此所の人なるべし、社の背後にその人の居城の跡と云あり

新編武藏風土記稿』卷之八十七 都筑郡之七 

荏田のむかし』(荏田東第一小学校創立十周年記念事業実行委員会)や『図説 都筑の歴史』では信濃国の人である江田(荏田)源三居城説は否定している。

多摩丘陵の古城址』(田中祥彦)では大永元(1521)年以降、扇谷上杉・山内上杉が紛争を再開し、その隙を突いた後北条氏鶴見川から早渕川まで勢力北上させた際に構築したものとしている。

小田原北条家所領役帳』には曾根采女助の名が荏田の地名と共に見える。

江田源三に関する余談。

弓の名手である源三が城より矢を放った。矢の先が落ちた所、矢崎、矢の羽が落ちた所を、矢羽と呼んでいる。(中略)
城址のある地区を小黒谷戸という。これは源三の小黒という馬を繋いでいたところから起こったといわれている。

荏田のむかし』p.49

これらの地名は早渕川にかかる矢崎橋や矢羽根不動、小黒谷戸バス停などに残っている。